2007年10月08日
粟田神社【粟田祭神幸祭】
秋祭り本番ともいえる京都の初秋、十月八日に粟田神社におきまして【粟田祭神幸祭/神輿渡御】が行われました。この日は、私自身の諸事情で、後半から拝見に伺いました。
『粟田神社』は、主祭神して「素盞嗚尊」と「大己貴神」をお祀りしております。古くは、感神院新宮とも粟田天王宮とも呼ばれていました。平安時代の貞観十八年に神祇官・陰陽寮より兵災・疫病の奏上があり、勅によって全国の神々に安泰の祈願が藤原興世によって行われました。そのとき、祇園感神院による祈願の満願の夜に、枕もとに「大己貴神」が立って、安全を告げて「素盞嗚尊」に縁のある粟田の地に「大己貴神」を祀れとの御神意を受けました。そこで、御神霊を祀ったのが創祀であるといわれています。
『粟田神社』は、主祭神して「素盞嗚尊」と「大己貴神」をお祀りしております。古くは、感神院新宮とも粟田天王宮とも呼ばれていました。平安時代の貞観十八年に神祇官・陰陽寮より兵災・疫病の奏上があり、勅によって全国の神々に安泰の祈願が藤原興世によって行われました。そのとき、祇園感神院による祈願の満願の夜に、枕もとに「大己貴神」が立って、安全を告げて「素盞嗚尊」に縁のある粟田の地に「大己貴神」を祀れとの御神意を受けました。そこで、御神霊を祀ったのが創祀であるといわれています。
【粟田祭】は、一千年の歴史を持つ非常に由緒あるお祭りです。室町時代には、祇園祭が斎行出来ない状況になった時に、この【粟田祭】を以って祇園御霊会として祭祀を行ったとされています。
【粟田祭】といいますと、有名なのはその剣鉾さばき。『鉾差し』と呼ばれる技術は、古くからあり、粟田の剣鉾を奉仕する人々は、他の地域の神幸祭における鉾差しも奉仕していた事が知られています。
写真では、本殿前での鉾差しの様子を掲載していますが、巡行する所々で鉾差しが披露されて、沿道の人々から声援を受けて、本殿へと帰ってまいります。
お祭りの最後には、お神輿を本殿前で勢いよく担ぎ上げられます。そして、京都独特の掛け声である「ほいっと」の掛け声が境内に響き渡り、数度の掛け声の後、遷御の儀を執り行い、還幸祭を御斎行されました。
Posted by 一匹狼★NOB at 22:21│Comments(0)
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