2010年01月19日
初釜を終えて。
昨年は喪中でしたので、うちではお茶事に関してはあんまりしておりませんでした(外では二度ほどいただきましたが)。多分、全く点てていなかったのではないかなと思います。しかしながら、今年に入って喪明けをしましたので、ささやかではありますが、少しの葩餅を購入し、十五日の晩に自宅にて初釜を致しました。まぁ、そんなたいしたことをしている訳でもありません。ただただゆるりとした時間を楽しむだけのものでございます。しかしながら、一年以上を自宅でのお茶事をしていませんと少し新鮮な気持ちにもなります。
どうもゆったりとすることがないここ最近の生活からすると、これだけゆったりと心地よくいただけたのはひさしぶりかもしれません。まぁ、それだけ京都時間という表現される時の流れから少し離れた生活が長かったからかもしれません。心のもちようも、もう少し余裕を持って、遊びの心も持って、ゆるりと楽しんでいきたいと思います。
どうもゆったりとすることがないここ最近の生活からすると、これだけゆったりと心地よくいただけたのはひさしぶりかもしれません。まぁ、それだけ京都時間という表現される時の流れから少し離れた生活が長かったからかもしれません。心のもちようも、もう少し余裕を持って、遊びの心も持って、ゆるりと楽しんでいきたいと思います。
2010年01月19日
15日の御粥祭を終えて。
先日の十五日は望粥をいただく日でありまして、小豆粥をいただいておりました。これでやっと小正月が終わるかとも思うのですが、なにぶん、左義長やら御弓始とかで随分と色々と忙しいものでありました。通常でしたら十五日が成人の日になりましたから、それが過ぎると、あぁ、お正月気分ももう抜けないとあかんなぁ、と思うものですが、祝日自体の日にちが変わってしまうとどうも感覚が未だにズレたように感じるのは私だけなのかなと、ふと思ってみたりもします。
今年は喪明けも済みましたので、ようやく少しずつですが写真を撮りに行ってますし、左義長や御弓始も終わり、来月の節分祭が楽しみになっています。京都というのは、やはり食べ物や神事ごと、肌感で季節を感じるものやと思います。ですから、このように祝日が変わってしまっても、季節感などの感覚的なものは忘れたくはないものだなぁと思う今日この頃であります。
今年は喪明けも済みましたので、ようやく少しずつですが写真を撮りに行ってますし、左義長や御弓始も終わり、来月の節分祭が楽しみになっています。京都というのは、やはり食べ物や神事ごと、肌感で季節を感じるものやと思います。ですから、このように祝日が変わってしまっても、季節感などの感覚的なものは忘れたくはないものだなぁと思う今日この頃であります。