ひさびさに自宅でほっこり

一匹狼★NOB

2007年04月14日 02:58

こんばんは。少し更新が滞りました。その間に京都では春の装いが変わり、満開の桜から場所によっては桜吹雪が舞い散る時期となりました。また一段と違った京都の一面を楽しんでいる今日この頃で御座います。

さて、その更新が滞っている間に、京つうさんから「京つう的オススメBlog」として、ご紹介をして頂いたみたいでして、誠に嬉しい事でありまして、厚く御礼を申し上げます。更新は私なりのゆったりとしたペースでは御座いますが、またゆっくりと楽しんで頂けましたら幸いで御座います。
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今回は、私事の話も含めてでは御座いますが、綴らせて頂ければ幸いです。ここしばらく更新が滞っておりましたのは、実はここ数日、仕事や撮影等の兼ね合いから自宅を空けておりました。京都という土地柄、春祭のこの時期となりますと、桜の風景を撮りながら、あちらへこちらへと撮影をさせて頂いたりして、ようやく昨日、自宅へと帰って参りました次第です。

まだまだ、春祭は行われますが、私が参加をさせて頂いております京都検定の勉強会や私がお世話になっております諸関係の皆様との打ち合わせ等も含めての準備のためにここ数日は、自宅でほっこりとしながら、色々と進めていく予定です。

それにしても、ほっこりとするこの空気感というのは、京都だけなのかもしれません。少し歩けば、水や木々に触れる事が出来ますし、ちょっと出歩けば、桜の景色も楽しむ事が出来ます。京都の広報ポスターに「日本に京都があって良かった」というフレーズがありますが、京都人である私自身がそのように感じる事も多々あります。だからこそ、この感動をまた京都のブロガーは伝えていくのであり、その伝える事に魅力や再認識をしているのではないかと思います。

しかし、これを感じる事は「=(イコール)守っていく大切さも伝える」という事が重要かと思います。ただ単に「あって良かったぁ、綺麗やったぁ」だけではなく、どのように守っていくかという事も勉強しなくてはなりません。よく「守っていく為にはお金」という無粋な人も中にはいます。もちろん、確かに「お金」も必要でしょう。でも、その前にもっと考えなあかんことがあるんと違うかなと思ってしまいます。

京都は、別に偉い人だけによって、守られてきた文化ではありません。普通の地元の人たちも支えてきたからこそ、守られてきた事をもう少しクローズアップする事も大切であると、私は最近、再認識している次第です。京都人って、特に体裁を気にする気質がある為、どうしても外見(綺麗さ・豪華さ)の良さを全面的に押し出す部分が多いように感じます。

今日(きょうび)の「雑誌」とか「京都本」って言われる記事には「綺麗やなぁ」「賑やかそうやなぁ」「なんか感じがいいなぁ」と思うような写真や文章がズラリと並びますよね。でも、それだけが京都の魅力と思って、京都にお越しにならはって「綺麗やなぁ」だけで帰ってしまわはる県外の方もとても多いです。これは、大変残念ですし、京都に来たのにもったいないなぁと思います。

先日、拝読した某雑誌を見て、ようやく京都の魅力が伝わるような本が出てきたなぁと思うくらいです。では、その違いは何でしょうか。写真の綺麗さもさることながら、本当の京都人で本当の京都の魅力を知っている人が書いているか、そうでないかの差だと思います。そういう美的センスを持った方々の空気感や肌で感じるのは「京都」にいるからこそ分かるものだと思います。しかし、疑い深い人は「ほんまに?」といわれるかもしれません。でも、皆さんも納得されると思いますよ。本当の京都の達人は「知識」だけではなく、「感覚」をも大切にするという事を。

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さて、少しばかりキビシイ話でしたでしょうかね…しかしながら、我々はいかに、その「感覚」を忘れているか、という事を京都を通じて感じて頂ける機会があるか思います。そのお話は、また改めていずれかの機会に綴らせて頂ければ幸いかと思います。桜が舞い散る京の夜を少し楽しみたいと思います。雑談とはいえ、長文の拝読、有難う御座いました。

今後ともよろしく御願いを致します。
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