2008年02月19日
賀茂別雷神社【乙子神事】
初春の行事として行われていた宮中行事が、現在でも上賀茂神社にて行われています。その神事が【乙子神事(燃灯祭)】と呼ばれております。この神事が二月十八日に静かに御斎行されました。
上賀茂神社さんは、賀茂別雷神社と称し、賀茂別雷大神を御祭神としたお社です。京都三大祭の一つであり、三勅祭にも数えられる『賀茂祭』でも有名です。古くから庶民や皇室の崇敬を深い崇敬を受けており、また『源氏物語』の作者「紫式部」が恋愛の祈願に訪れた摂社「片岡社」では『ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし』と歌を詠んだとされています。
上賀茂神社さんは、賀茂別雷神社と称し、賀茂別雷大神を御祭神としたお社です。京都三大祭の一つであり、三勅祭にも数えられる『賀茂祭』でも有名です。古くから庶民や皇室の崇敬を深い崇敬を受けており、また『源氏物語』の作者「紫式部」が恋愛の祈願に訪れた摂社「片岡社」では『ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし』と歌を詠んだとされています。
この『乙子神事』は、二月の第二「子」の日に行われます。旧暦では一月乙子の日に行われていましたが、新暦で改められました。これは初春の宮中行事として行われていた「子の日遊び」と呼ばれる行事があり、野辺に出でて、小松を引いて、千代を祝い、若菜を摘んで宴を設け、和歌を詠んでいた行事であったとされています。この子の日に、丘に登り、遠く四方を望みますと、陰陽の精気を得て、そして邪気も祓うことが出来ると伝えられています。この神事は、春の若菜を摘む事で、精気に満ちた自然を受け、長寿を願う意味も持っているとされています。
『後撰集』には「松も引き 若菜も摘まず なりぬるを いつしか桜 はやも咲かなむ」というかに詠まれるほど優艶な行事であった事がうかがえます。乙子神事では、斎主・以下斎員が狩衣姿で、上賀茂神社の斎場である御阿礼野(みあれの)へ出でて、小松を引きます。その様子は誠に静かでその空気感に雅さを感じます。
小松引きの儀式を終えますと、静々と斎主・斎員はもと来た道を静々と戻り、境内へと戻って参ります。そして、祓いなどを執り行う『土舎(つちのや)』にて、御阿礼野で摘んできた小松に玉箒草(燃灯草)を添えて、紙に包みます。ある程度の準備が出来たところで、修祓を行い、斎串を用いて、身の罪穢れを境内を流るる御手洗川へと斎串を流します。
そして、神前に供する為、斎主・斎院は本殿へと参進を致します。
乙子の神事が行われたこの日は、あいにく朝から雪が降っていたため、境内の御社や建物・楼門には、微かに残っておりました。小松・玉箒草は、神前に献じられ、初春の雅な神事は静かに御斎行されました。
*参考文献
上賀茂神社・乙子神事【配布資料】
暦関連の資料数点
Posted by 一匹狼★NOB at 17:53│Comments(0)
│神社