2007年08月25日
京都各街道口【六地蔵巡り】
京都では、八月の地蔵盆の時期に六つのお地蔵さんを巡拝する風習があります。その名も【六地蔵巡り】。これは、皆さんも御存知の「六道参り」で有名な小野篁(たかむら)が起源に関わってくるのです。私は、二十四日に巡拝をさせて頂きました。その様子を写真を添えて…
まずは『お地蔵さん』は、どういう方なのでしょうか?『お地蔵さん』は、【地蔵菩薩】といいます。六道と呼ばれる人間界を含む、地獄・餓鬼・畜生・修羅・天上に迷い苦しむ衆生を救済せんと発願された仏さまなのです。
【六地蔵巡り】とは、どのようなものなのでしょうか?それは、文徳天皇の時代にまで遡ります。当時、朝廷に仕えていた皆様も御存知の『小野篁』が大病に係ります。そのときに、地獄に落ちた人々の苦しむ姿を見ました。そこへ、ある僧が人々を救っている姿を目にしました。その僧は、自分の事を『地蔵菩薩』であることを名乗りまして『それぞれの道で迷っている自分と縁のある人々を救っているのだが、私は無縁の人々を救う事は出来ない。だから、広く人々にこの事を広めて欲しい』との事を小野篁に告げました。
この世に帰ってきた篁は、小幡山から一本の桜の木を持って、六体の地蔵尊像を刻み、伏見の六地蔵の地に安置しました。そして、後の後白河天皇が厚く信仰をされまして、旅人たちの旅行安全を願い、また広く人々に地蔵菩薩との縁を結べるようにするために各街道の入り口に六角堂を建て、それぞれの地蔵尊を分置するように平清盛に行わせました。 この六つの街道に分置された地蔵さんを僧侶が巡拝した所から六地蔵巡りの風習が生まれました。
写真は、私が一番最初に訪れました鞍馬口地蔵を祀る鞍馬街道・「上善寺」さんです。こちらのお地蔵さんは元々は、深泥池のほとりに安置されていたのをこちらに移されました。
巡拝の二ヶ所目に訪れたのは、常盤地蔵を祀る周山街道の・源光寺」さん。境内には常盤御前の墓があり、現在でも多くの人が六地蔵巡りの折には、お参りをなされます。
この六地蔵巡りでは、この六つの地蔵寺を巡る際に、それぞれの寺で御幡を御頒かち頂きます。こちらを御守りとして玄関の軒に吊るして、罰障消滅、家内安全、無病息災、家運繁栄を願い、また一年後にはお納めをすることとなります。
次に訪れましたのは、桂地蔵を祀る丹波・山陰街道・「地蔵寺」さんでした。こちらは、今年お堂を建て替えられて、非常に綺麗なお堂でビックリしました。昨年は、こういう感じのお堂ではなかったのですが、とても綺麗にされて、お地蔵さんもお喜びのことと思います。
こちらの境内では、席が設けられており、多くの巡拝者さんが旅の疲れを癒しておられました。こちらでは、お遍路さんの格好をされたお母様が二人、休憩されていたのが印象的でした。
次は桂から上鳥羽へと移動します。上鳥羽にある鳥羽地蔵さんを祀る西国街道・恋塚浄禅寺さんです。
恋塚とは、袈裟御前の首塚といわれている五輪塔のことで、文覚上人がまだ盛遠と名乗っていた頃に横恋慕をして、同僚の妻である袈裟御前が夫を殺害するように盛遠に頼むが、身代わりとなって、袈裟御前自身首をはねられたことに、盛遠は悔やんで、出家をし、文覚と名乗り、首を埋めて塚を建てたのがこちらの塚といわれているのです。
その塚を静かに参拝をして、六角堂へ。お地蔵さんに手を合わせ、献灯をして、その場を後にしました。
いよいよ伏見六地蔵の奈良街道・大善寺さんへ。上鳥羽から六地蔵へは、かなりの距離があります。こちらが、六地蔵信仰のはじめとなった、最初に六体のお地蔵さんが祀られていた地域です。地名もそのまま「六地蔵」ですからね。
ふと入り口の写真を撮らせて頂いていると、お遍路さんの格好をされたお二人が…桂でお見かけをしましたお二方でした。地蔵堂の前で、お二人がお経を読まれる様子だったので、先にお参りを済ませ、後ろから静かに様子を見守り、最後のお地蔵さんへと急ぎました。
最後は山科地蔵の東海道・徳林庵さん。この界隈は、この縁日の期間は通行止となり、多くの夜店で参道が賑わいます。子供からお年寄りまで、六地蔵巡りとはまた違ったお地藏さんの縁日として、楽しいものがあります。
こちらにはお地蔵さんのほかに、お堂の後ろに蝉丸の供養塔と、四体の仏さんがお祀りされています。その後ろには、閻魔大王の若い頃の姿が描かれた閻魔天も祀られています。
丸一日をかけて、廻りました【六地蔵巡り】。街の喧騒を少し忘れて、六つのお地蔵さんを巡拝をし、人々の思いや願いを信仰として、今に受け継ぐ崇敬さに、また京都の魅力を静かに感じた一日で御座いました。
Posted by 一匹狼★NOB at 19:15│Comments(0)
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